【動画】日本にガチで詰め寄られた韓国大手MBCテレビ局がついに捏造を認めるww →「捏造だけど希少な資料だし」仰天の言い訳がヤバすぎる

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[ 2017/04/28 00:49 ] Youtube | TB(0) | CM(0)

Trump, Putin, Kim Jong Un - Hyperflesh Masks - Monsterpalooza 2017




[ 2017/04/18 10:05 ] Youtube | TB(0) | CM(0)

米軍、アフガンのIS空爆で「MOAB」を初使用

【4月14日 AFP】米軍は13日、非核兵器では史上最大の爆弾とされる「MOAB(大規模爆風爆弾兵器、GBU-43/B Massive Ordnance Air Blast)」を
、アフガニスタンのイスラム過激派組織「イスラム国(IS)」施設に対し投下した。
「(中略)」

http://www.afpbb.com/articles/-/3125067

大艦巨砲主義!



おまけ
アリの巣に溶かしたアルミ流し込むとやばい
[ 2017/04/14 09:57 ] Youtube | TB(0) | CM(0)

朝鮮総連京都府本部、抗議行動【平成29年4月5日】

[ 2017/04/13 23:35 ] Youtube | TB(0) | CM(0)

入学おめでとう街宣 大阪大学入学式

[ 2017/04/13 08:26 ] Youtube | TB(0) | CM(0)

神風特攻隊 その時



(•ө•)
良く出来ています
出来すぎて役者が多くないか
なんて思いますが。
[ 2017/04/06 23:02 ] Youtube | TB(0) | CM(0)

日本第一党 大阪・京都 合同講演会 2017年3月26日(日)






[ 2017/03/31 11:30 ] Youtube | TB(0) | CM(0)

海外の反応「もうやだこの国w」 CIAが日本の顔文字を集めていた事実が話題に オモロテレビ



R25
CIAが日本の顔文字を極秘収集? ネット警戒感漂う
https://r25.jp/topic/00056086/
[ 2017/03/31 00:41 ] Youtube | TB(0) | CM(0)

中国崩壊の実態!暴動だらけの軍閥同士の闘争!渡邊

[ 2017/03/26 09:40 ] Youtube | TB(0) | CM(0)

神回!沖縄基地抗議運動問題 「逮捕者の韓国人は親北反日反米団体の挺対協との関係性もあり得る」「外国人に主導されている可能性がある」山田広 最新の面白い国会中継 2017年3月21日



2017/03/21 に公開
2017年3月21日 参議院 参議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会
自由民主党 山田広
[ 2017/03/22 09:36 ] Youtube | TB(0) | CM(0)

荒巻靖彦の小中学校回り 大阪市立すみれ中学校

[ 2017/03/17 21:18 ] Youtube | TB(0) | CM(0)

【韓国崩壊】日本より韓国を嫌う国-ドイツ!ドイツ人が世界で一番韓国が嫌いな理由とは?

[ 2017/03/12 09:50 ] Youtube | TB(0) | CM(0)

一式戦・隼を語る_檜與平(桧与平)エースパイロットの証言

隼




一式戦は特筆に価する点として、大戦初期に限らずビルマ(ミャンマー)やその南東、中国の戦線では大戦後期・末期である1944年後半以降においても連合軍戦闘機との空戦において「互角ないしそれ以上の勝利」を重ね(#ビルマ航空戦・#中国航空戦)、また、スピットファイア・P-38・P-47・P-51(P-51はアリソンエンジン搭載A型のみならずマーリンエンジン搭載B/C・D型をも含む)といった新鋭戦闘機との対戦でも「互角の結果」を残していることが挙げられる(中でもビルマ航空戦ではこれらの全新鋭機を一式戦は初交戦にて一方的に確実撃墜している(#ビルマ航空戦 後期))。これらの記録は日本軍と連合軍側の戦果・損失記録の比較により裏付も取れている「史実」である[12]。一例として、以下の記録は1943年(昭和18年)7月2日から1944年7月30日にかけて一式戦が記録した裏付の取れている確実な実戦果・実損害である[13]。
一式戦は連合軍機135機を確実撃墜。 一式戦の喪失損害は83機。
撃墜連合軍機種内訳は戦闘機70機・爆撃機等32機・輸送機等33機。
連合軍戦闘機による一式戦の撃墜戦果は約61機。 当時のビルマ航空戦全体で日本軍戦闘機は計142機を撃墜、連合軍戦闘機は計127機を撃墜。

末期においても不利な状況にて一式戦が活躍していた事例として、以下の記録が存在する。1945年(昭和20年)3月15日、バンコク付近にて飛行第30戦隊の一式戦2機が「第二次世界大戦最優秀機」と評されるアメリカ陸軍航空軍のP-51D 4機(当初は8機)と交戦、この一式戦2機は空中退避中にP-51D 4機編隊の奇襲を受けた劣勢にも関わらずまずその一撃離脱攻撃を回避、続く別のP-51D 4機編隊の攻撃は得意とする超低空域機動によってこれも回避、一式戦は反撃し1機(第1戦闘飛行隊第4小隊モダイン大尉機)を確実撃墜[14]。

日本軍・連合軍の戦果および損害報告記録たる一次史料をもって一式戦の戦績調査研究を行った梅本弘は、自著においてビルマ航空戦における帝国陸軍航空部隊と一式戦の活躍を以下の如く述べている[15]。

(前略)空戦を児戯に類するほど単純に「航空機の損失と、撃墜戦果」という観点からのみ見れば、陸軍戦闘機隊は、質量ともに勝る英米の戦闘機隊に対して昭和20年の2月まで、ほぼ互角の勝負をしていた。

— 梅本弘 『ビルマ航空戦』 2002年11月 p.18

欧州から来たばかりのパイロットは、01やゼロ(一式戦のこと)との格闘戦を試みるのは死にに行くのと同然だ、という教訓を頭に叩きこまれた。軽量な日本機は軽快な運動性を持ち、米軍と英軍のどの戦闘機と戦っても内側に回り込んでくる。(後略)
ここでの戦闘の戦術はドイツ空軍相手の戦術とまったく別ものだ。日本機は低い高度で非常に運動性が高い。(中略)絶対に低高度での低速格闘戦に誘い込まれてはならない
— ビルマ航空戦で一式戦と交戦したイギリス空軍

(前略)格闘戦や旋回戦に入ったら一巻の終わりだ
第一に格闘戦を避けねばならない。これに巻き込まれれば日本機は高い運動性を発揮し、君の勝ち目はほとんどない

— ニューギニア航空戦で主に一式戦と交戦したアメリカ軍

しかしその一方で、一式戦は大戦中後期の劣勢下でも対爆撃機戦のみならず新鋭機を相手とする対戦闘機戦でも互角以上の勝利を重ねた「史実」が存在し、実際にビルマ方面や中国では確実な戦果を多数挙げている(#ビルマ航空戦・#インドシナ、マレー、インドネシア方面・#中国航空戦)。連合軍戦闘機も実際は友軍爆撃機の直掩任務時など一撃離脱戦法を毎度行えていたわけではなく、格闘戦に引きずり込まれたり、一式戦持ち前の運動性で「一撃」をかわされた事例も少なくない。そういった大戦後期の一式戦の特性を「落とせないが、落とされない」とも評される[30]。一例として1944年7月5日、中国戦線の九江にて飛行第48戦隊の一式戦が第26戦闘飛行隊のP-51Bと交戦し1機を確実撃墜(メイス中尉機)。P-51B撃墜後に一式戦の多くは離脱するも、ただ残った少候出身のベテラン木村増吉中尉機とされる1機は8機ものP-51と交戦、一式戦は巧みな機動で攻撃を回避しP-51全機は全弾を撃ち尽くしてもこれを撃墜することは出来なかった。アメリカ軍はこの一式戦操縦者を「九江のエース」と名付け、以降同方面への出撃時は警戒するようになった事例がある(#中国航空戦)[31]。

連合軍エースとの空戦[編集]

連合軍のトップクラスのエースを相手とした一式戦による確実戦果としては主に以下の事例が存在する。
1944年3月5日、ニューギニア戦線において、飛行第77戦隊三苫軍曹・青柳軍曹操縦の一式戦が、21機撃墜を誇るニール・カービィ大佐操縦のP-47Dを確実撃墜。 1944年初期、当時21機撃墜のニール・カービィ大佐(P-47操縦)は24機撃墜のリチャード・ボング大尉(P-38操縦)とアメリカ軍トップ・エースの座を巡り争っており、カービィ大佐は第348戦闘航空群指揮官(群長・司令)として新鋭のP-47を操縦し、1943年10月には同戦線にて第64戦隊初代戦隊長を歴任したベテランである第14飛行団長寺西多美弥中佐操縦の一式戦を撃墜するなど戦果を多数記録していた。しかし3月5日、僚機のP-47D 2機を率いて飛行第208戦隊の九九式双発軽爆撃機3機を攻撃中のところを第77戦隊の一式戦5機が奇襲し、三苫軍曹機・青柳軍曹機が低空を低速でもがきまわるカービィ大佐機の操縦席に機関砲を射撃しこれを撃墜。ただちに部下のP-47Dが駆けつけたもののカービィ大佐は戦死した。一式戦の損害は1機が被弾不時着のみ[63]。






トーマス・マクガイア少佐と愛機P-381945年1月7日、フィリピン戦線において、飛行第54戦隊杉本明准尉操縦の一式戦と飛行第71戦隊福田瑞則軍曹操縦の四式戦が、38機撃墜を誇るアメリカ全軍第2位のエースであるトーマス・マクガイア少佐操縦のP-38Lおよび、僚機でベテランのジャック・リットメイヤー中尉のP-38Jを協同確実撃墜。 不意の遭遇戦で4機のP-38に遭遇し最初に劣位から応戦した杉本准尉機はP-38 1機を撃墜するも被弾、不時着するも地上でゲリラに射殺された。杉本機の空戦を目撃し現場に駆けつけた福田軍曹機は対進戦でP-38 1機を撃墜。先に撃墜されたマクガイア少佐ないしリットメイヤー中尉の僚機であったP-38 2機(エド・ウィーバー大尉機、ダグ・スロップ中尉機)の追撃を回避し生還。なお、福田軍曹は空戦時はマラリアの高熱により意識朦朧状態であり、かつ落下タンクと100kg爆弾を搭載したままであった。本空戦は特に乱戦であったため、一式戦(杉本)と四式戦(福田)のどちらがマクガイア機・リットーメイヤー機を撃墜したのか詳細は不明であるが、日本陸軍との戦闘でアメリカ軍の両名が戦死したことは事実である[64]。

ビルマ戦線では雨季の期間中は航空作戦が不能ないし低調になるため、雨季を除く大戦中期たる1942年9月9日から1943年5月29日にかけての戦果・損害は以下の如し[117]。
第50戦隊・第64戦隊の一式戦は連合軍機62機撃墜を記録、対する一式戦の空戦損害は36機喪失。 撃墜連合軍機の機種内訳は戦闘機44機・爆撃機等17機・偵察機1機。 撃墜戦闘機の詳細はハリケーン36機・モホーク5機・P-40 3機、爆撃機等はB-24 5機・ブレニム5機・B-25 3機・ウェリントン2機・ハドソン1機・ボーファイター1機、偵察機はF-4 1機。

一式戦喪失36機のうち連合軍戦闘機によって撃墜されたものは24機、残機は爆撃機の防御砲火や対空砲火などによるもの。


ビルマでは1943年半ばに至っても帝国陸軍が空中・地上双方で連合軍を相手に優勢を誇っていた。

11月25日より、中国・ビルマ方面アメリカ陸軍航空軍総司令官は日本軍の拠点であるラングーンを米英軍協同による連続戦略爆撃を敢行。25日、この爆撃機の直掩機として選ばれた長距離戦闘機P-51Aはラングーン上空で(爆撃機との空中集合に失敗したためP-51A単独で飛来)、午後にはB-25を掩護し第64戦隊の一式戦と交戦した。結果、一式戦は1機を喪失(落下傘降下、生還)するも最高指揮官機を含むP-51A 2機を撃墜した(第530爆撃航空群指揮官ミルトン中佐機・第530戦闘爆撃飛行隊ロケット少尉機)[126]。

11月27日、アメリカ軍戦爆連合84機を中隊長黒江大尉が率いる第64戦隊第3中隊の一式戦8機と二式戦1機(二式戦は戦力補充のため送られていたもので第64戦隊は極少数機を保有。当時、ビルマ方面陸軍航空部隊主力は後述の龍一号作戦の準備で後方にいたため戦力は少なかった。黒江大尉は第5飛行師団参謀長鈴木京大佐から増援を送ろうかと言われたが断っている)、対空監視哨と地上からの無線電話誘導により有利な位置で邀撃。一式戦1機・二式戦1機を喪失しエース檜與平中尉が重傷を負うも[注 10]、機数で圧倒的に劣るこの状況でP-51A 4機(第530戦闘爆撃飛行隊ブリッグス中尉機・ウィルマー中尉機・グレイ中尉機・ホーガン中尉機)・P-38H 2機(第459戦闘飛行隊オーメイヤー大尉機・ハーラン中尉機)・B-24 3機(第308爆撃航空郡ピッカード中尉機・ケラム少尉機、第7爆撃航空群マレイ中尉機)計戦闘機6機・爆撃機3機を撃墜、他数機を撃破する大戦果を挙げた[127]。27日のこのP-38はビルマ航空戦で初陣を飾ったものであるが、先日のP-51やスピットファイアともども米英の新鋭戦闘機は一式戦との初交戦で完敗したこととなる[128]。この空戦には二式複座戦闘機「屠龍」(キ45改)8機を装備した飛行第21戦隊が途中参戦しているが、戦闘はほとんど第64戦隊の9機によって行われ特に一式戦の黒江大尉機・檜中尉機・隅野中尉機が活躍、むしろ遅れてやってきた二式複戦がP-51A 2機に追い立てられていたところを黒江大尉の一式戦に助けられるなど戦力としては今一つであり[注 11]、第21戦隊は二式複戦1機を喪失し戦果はB-24 1機撃墜報告のみであった。この日報告された第64戦隊の撃墜報告はP-51 4機・P-38 2機・B-24 2機であり多大な戦果誤認が多い空中戦にも関わらず実戦果と一致させている。撃墜認定の厳しい64戦隊では少なからずこのような事態が発生している事も特筆される[129]。

翌28日、同じくアメリカ軍戦爆連合を第64戦隊第3中隊の一式戦6機が迎撃、P-51A 1機を撃墜し(第530戦闘爆撃飛行隊エンジェル中尉機)2機を撃破[130]。

12月5日、先月より計画されていた戦爆連合をもってインド東部カルカッタの港湾を日本陸海軍協同で爆撃する龍一号作戦が発動(本作戦は陸軍航空部隊のみならず本来は担当外である南西方面艦隊の海軍航空部隊も少数ながら参加し、零戦および一式陸上攻撃機が投入されている)。主力のカルカッタ侵攻に先立ち各地に飛んでいた一〇〇式司令部偵察機「新司偵」数機がチャフを事前散布し、ビルマのマグエ飛行場群からは第64戦隊・第33戦隊・第204戦隊の一式戦74機、第98戦隊の九七重爆17機が出撃しカルカッタを目指した。進行途上で邀撃ハリケーンの奇襲を受け九七重爆1機を喪失するも一式戦は1機を撃墜(第258飛行隊ブラウン大尉機)、また爆撃自体も目標のドック(キング・ジョージ・ドック)を火網に捉え任務は完全な成功を収めた。海軍航空部隊の第三三一海軍航空隊の零戦27機、第七〇五海軍航空隊の一式陸攻9機は陸軍戦爆連合出撃の1時間後に同地に侵攻、こちらも爆撃を成功させている。空戦では日本軍戦闘隊はイギリス空軍戦闘隊を終始圧倒し、一式戦はスピットファイア1機・ハリケーン7機を撃墜、零戦はハリケーン3機のみを撃墜、一方的な戦闘で一式戦・零戦に喪失は無かった[131]。なお、本作戦で一時的にマグエ飛行場郡に集結した陸海軍の戦闘機操縦者は仲良く行水し、互いの戦闘機を見学するなど和やかな雰囲気であり、本作戦に従軍した第64戦隊第3中隊長黒江大尉は「前線のわれわれにかんするかぎり、戦後にいろいろと取り沙汰されたような陸海軍の反目などは、まったくなかったものと、私は信じている。私は、万腔の信頼と敬意とをもって、この日に限らず、海軍航空隊を礼賛して、その奮戦をたたえたい」と述べてる[132]。

12月10日、第50戦隊の一式戦25機は「辻斬り」を行いC-47など輸送機4機(第2兵員輸送飛行隊ヒルシバーグ大尉機・ハリスン少尉機等)、B-25 1機(捜索救助隊ポーター大尉機)を撃墜。このB-25協同撃墜者の一人である前川美雄伍長は、1942年4月18日のB-25によるドゥーリトル空襲で姉を亡くした人物であり、この撃墜は「姉の仇」となった


以下は大戦後期たる1943年7月2日から1944年7月30日にかけての戦果・損害で、単純に撃墜戦果のみの比較で(日本軍劣勢の大戦後期たる1944年半ばにおいても)ビルマで帝国陸軍航空部隊は連合軍空軍と互角の勝負をしており[149]、主力となる一式戦に至っては幾度も勝利を収めていた。
一式戦は連合軍機135機撃墜を記録、対する空戦損害は83機喪失。 撃墜連合軍機の機種内訳は戦闘機70機・爆撃機等32機・輸送機等33機。 撃墜戦闘機の詳細はハリケーン24機・スピットファイア18機・P-51 15機・P-38 8機・P-40 4機・P-47 1機。
逆に一式戦を撃墜した連合軍戦闘機の詳細はハリケーン3機・スピットファイア16機・P-51 12機・P-38 13機・P-40 14機・スピットファイアまたはハリケーン3機等。

この当時のビルマ航空戦全体で日本軍戦闘機は計142機を撃墜、連合軍戦闘機は計127機を撃墜。

大戦末期となる1944年8月18日から最末期・終戦間際となる1945年8月13日にかけて、ビルマを初めとする東南アジア方面(ビルマ・フランス領インドシナ・マレー・インドネシア・タイ等[注 13])を担当する第3航空軍戦域における戦果・損害は以下の如し[169]。
一式戦は連合軍機63機撃墜(このほか一式戦が撃墜した可能性がある未帰還9機が存在し、それを含めた場合は連合軍機72機撃墜)、対する空戦損害は61機喪失を記録。 撃墜連合軍機の機種内訳は戦闘機14機(18機ないし19機)・爆撃機等32機(36機ないし37機)・輸送機等17機。 戦闘機の詳細はP-47 4機・スピットファイア3機・P-38 2機・F4U 2機・P-51D 1機・F6F 1機・ハリケーン1機、爆撃機等の詳細はB-24 15機・ボーファイター5機・モスキート4機・B-29 3機・PB4Y-1 3機・PB4Y-2 1機・B-25 1機(先述の一式戦が撃墜した可能性がある連合軍未帰還機の内訳は、戦闘機等がハリケーン3機・F4U 1機、爆撃機等がB-29 2機・PB4Y-1 1機・B-24 1機、さらにTBFまたはファイアフライ1機)。

一式戦61機喪失のうち連合軍戦闘機によって撃墜されたものは47機で、残り14機は爆撃機の防御砲火によるものである。


日本軍・連合軍の一次史料や証言をもって一連の一式戦の戦績調査研究を行った梅本弘は自著において以下の如く結んでいる[170]。


12月18日、漢口をB-29を含む戦爆連合大編隊が波状攻撃し、漢口市街と飛行場在地機は爆撃で大きな被害を出した。迎撃には第25戦隊の一式戦13機と第85戦隊の四式戦12機が出撃し、同日午後の空戦で一式戦2機・四式戦3機を喪失し戦果はB-29 1機・P-51 4機・P-40 1機であったが撃墜戦果はこのうち3機のみであった。1945年1月3日・5日・6日そして14日にも漢口は連続空襲を受け同じく第25戦隊と第85戦隊がこれを迎撃、計6名の戦死者を出すも戦果は対空砲火と合わせP-51 8機・P-47 4機撃墜であった(P-47は中国航空戦ではこれが初陣である)。17日、来襲したP-47との空戦で第25戦隊・第85戦隊は両戦隊各1名が戦死するも、P-47 2機を撃墜。これが一式戦が参加した中国航空戦における最後の大規模空戦であった[205]。

[ 2017/03/08 19:32 ] Youtube | TB(0) | CM(0)

ラバウル航空隊 昭和19年(1944年)1月17日  69対0記録

ゼロ52

2013/01/18 に公開


大東亜戦争(太平洋戦争)時の、日本ニュース 第194号 "南海決戦場" (昭和19年(1944年)2月16日)の映像フィルムで、日本側がラバウル空戦を撮影した唯一の実写映像です。

[ 2017/03/08 05:25 ] Youtube | TB(0) | CM(0)

【陸上自衛隊】陸上自衛隊最後の切り札、「16式機動戦闘車」の性能がヤバすぎる!



【航空自衛隊】人類史上最速の戦闘機はなんという機種でしょうか?それはF-22でもF-35でもなく…
[ 2017/03/06 23:36 ] Youtube | TB(0) | CM(0)